1976 文化大革命(4)


戦後西日本の解放運動は中国文化大革命に類似している。小学生まで糾弾に加わらせた(兵庫県芦屋市立小学校教諭証言)。違うのは文化大革命が10年で終わったものの、1969年の特措法で過激化して以来、2002年に特措法が終結し てもなお差別解消法を成立させ 続いていることだ。低生産・低学力闘争を主導した毛沢東(福地幸造)がおり、亡くなったあとは派閥を作り、わが校には江青女史(事務)も含めて四人組(直、坂、平、女史事務)もいた。大人たちの中には、凄惨な連続どう喝盛期の教育現場を思い出し顔をしかめるものは多い(Amazon『八鹿から全国へ、全国から八鹿へ』 『教育差別からの解放』参照。YOUTUBE動画では「1979カンボジアからの証言・ポルポト共産主義政権」参照)。補足:生産力とは家庭内介護・育児労働から工場・企業労働まで一切の賃金労働を言い、決して人らしく生きたいという人権を無視するものではない。学力とは人の生きる 意思まで否定するものではなく、学力テストのようなペーパー最大公約ばかりでない。知的互助生産力の最小知的公倍の共有です。当時の文革、解放運動ではそれすら無視された状態だった。