時の流れに身をまかせ」 テレサ・テン  スタートページ








    大陸中国・北京第二次天安門事件の
民主化運動の闘士(アジアの歌姫)
















1989年4月15日勃発。胡耀邦元党総書記の死をきっかけとして民主化運動が 同年6月4日まで続いた。その間、デモに参加した一般市民、学生の約3000~10000人が人民解放軍により虐殺された。 遡ること1970年代の毛沢東と4人組の文化大革命では6000万人から1億人の中国民衆が紅衛兵により粛清虐殺されたと言われたとい われている。この文化大革命の終結の推進に動いたのは鄧小平だが、 生涯に三度の失脚(奇しくもうち二回は学生が起こした暴動が一因)を味わったためか、民主化を推し進めたゴルバチ ョフと対照的に鄧小平は中国共産党の指導性をゆるがす動きには厳しい態度で臨み、1989年6月には第二次天安門事件で学生運動 の武力弾圧に踏み切った。この事件については初め趙紫陽総書記などが学生運動に理解を示したのに対して、軍部を掌握していた 鄧小平が陳雲、李先念ら長老や李鵬首相らの強硬路線を支持し、最終的に人民解放軍による武力弾圧を決断したといわれる。 イギリスの機密文書によると「200人の死が中国に20年の安定をもたらすだろう」と語っている。