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1960年代の青春群像。その後、若者たちを労働運動から政治闘争に巻き込んだところあたりから暴走し始めたのか?その後、日本共産党(宮本顕治指導)は政治闘争の過激化が 労働運動の過激化に炎焼を危惧し、選挙運動に転じ同党に参加していた学生の動揺を生んだ。で、現在に至る。私はフランスデモに参加したぐらいだった<^^> 宮本顕治が書記長を務めていた1950年代から60年代にかけての時期、日本共産党は朝鮮労働党と友好関係を結んでいた。戦前のコミンテルン時代には「一国一共産党」の原則があり、当時日本の統治下であった朝鮮半島や台湾も日本共産党の活動範囲とされた。 宮本顕治は1966年(昭和41年)、北ベトナムと中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国の三国を訪問する。2番目の訪問先となった中国・上海で中国共産党主席毛沢東との会談に臨むが、この席上毛沢東は日本共産党の活動を「修正主義だ」と批判、当時始まった ばかりだった文化大革命の路線<大陸中国人民6000万人以上が走資派などと名指され粛清殺害、学生は下方という貧農強制労働に従事させられた>に日本共産党も従うよう求めた。宮本顕治は毛沢東の発言を六全協、さらに第7回党大会では所感派を中心とする武装闘争路線の復活につながると受け取った。そして毛沢東の意見を受け入れることはでき ないどころか、中国、ソ連への追従によって一度は壊滅的打撃を受けた過去の反省からも党としての関係を断つべきと宮本顕治は判断する。日中両党関係は完全に決裂した。さらに、毛沢東隷下・北朝鮮の建軍思想の金日成、日本の朝鮮総連とも決裂したと思ったが、モスラ志位和夫がスターリン主義覇権思想を担ぎだしている。 経過があるにも関わらず、宮本顕治の子供の家庭教師してた現日本共産党・志位委員長の認識は数式的で現実認識が甘い。数式の比例定数というのはあくまでも仮の姿であり、単に一時的工学利用のために決められたものであり、社会的絶対値ではない。 その認識がないから、非核化即平和を発想し、米朝会談を礼賛し、千島列島全島は日本のものと日本を共産主義化する始末だ。大韓民国の徴用工問題、従軍慰安婦キャンペーンについては告発の 価値がある。それなら、今のロシア人に終戦後の50万人以上にも及ぶシベリア抑留強制労働、日本人婦女子を性奴隷にしたロシアスターリンについて語り、謝罪を求めるべきだ?ノモンハンの武力衝突は戦時下ではあったものの占領には至ってない。問題 はその後中立条約を結んでたにもかかわらず、第二次大戦後、日本の民間人に対して死者が一割にも達しただけでない被虐行為をしたロシアソ連人の暴虐をなぜ告発しない。その血をひくプーチン政権に対してプーチン化しかねない北方領土全島返還 を戦後領土不可侵は何故主張する?沖縄化しかねない北方領土全島返還など危なくて仕方がない。幸いだったのは全島民民間人が北方領土を引きはらっていたことだろう。シベリアと同じようなことやってれば、基地問題ばかりでなく、沖縄以上の大悲劇が起こって いたはずだ。その認識のない志位発言は社会歴史認識が賢すぎて欠落している。『蟹工船』のソ連兵士とのヨタ踊りに浮かれることなく、正面を向いて党の主張を語ってもらいたい。アングロサクソン民族のドイツナチスのヒットラーが正義でなかったからと言って、 スラブ民族のロシアコミュニストのスターリンが正義であったとの証明などどこにも存在しないのだ。 志位氏は東大工学部卒だが、東京工業大学卒・菅直人元首相と同じ発想をしている。「自分は日本最高学府出身の第一人者であり、私の言うことはぶれず正しい」という工学的数式発想だ。彼の定規にあわない地区党員が行動面で好き勝手行動してるという現実に目を向 けてない。地区党員にとっては、自己利益優先で、彼らが信頼し発情してるのは「あかはた」報道ではなく、「読売新聞」掲載記事なのである。私も地区党員から「わしは義理があって共産党に入れるが、あんたは(党員ではないから)この人にいれてくれ」なんて 柔軟さ(?)があり投票して共産党候補が落選したことがある<^^> まあ定時制教員時代に先輩から東大安田講堂攻防に参加した本校定時制無職ヨタ生徒がいたが思想性は全くないと聞いた。要するに毛沢東、四人組の紅衛兵と同じ労働者意識のない知的レベル最悪の闘士だったのだ(愕然)