1991年 報道「ひとりぼっち」。考えなければならない深刻な差別問題であることは理解できる。 私も部落の女の子を好きになって結婚を考え、 「今の場所から本籍地を自分の方に移してくれ」と言って、破談になったことはある。しかし、2002年特措法の終結を前にマスメディアが部落差別に特化すべきことではない。 ただ外国人労働者差別問題と違って、 ある日突然ふきだすことには同じ日本人ではあるのに問題がある。別件だが、似た現象として日本人(部落出身ではない)教師が在日生徒に「本名を名乗って民族の誇りが」どうのこうのと言って、名乗らせたら、 荒れ放題に 荒れたことがある。周囲の変革なしに生まれっ育った日本名を捨てさせることは、普通学級にポンと障害生徒を放り込んで「バリアフリーでござい」と言ってる簡易な教師、マスメディアに等しい。 1974年に八鹿高校事件において部落解放同盟の暴力に対して報復を恐れて寡黙したマスメディアは「暴力やどう喝の悪いこと悪い」と言わない強烈な差別をしたことにもある。 同じ人間であれば批判すべきは批判すべきであろう。だいたいが、露木茂は適当なのである。部落差別の問題は戦前の東京中央政府が創出したものであり、特措法失効後は東日本の問題である。また、東京代々木 の日本共産党中央委員会のヒステリック なおばさん、ヒステリックな若手の問題である。党員を増やすことばかりに熱中した能力不足東日本代々木の欠陥であり、西日本の問題ではない。工場が臭ければ、なぜ予算16兆円を使っ て改善をしなかったからである。これは部落利権ボス、部落解放同幹部が専従着服したことも考えられる。あるいは部落民でもない似非同和ヤクザが。この報道は特措法失効を前に16兆円予算をネコババ した人間の問題であり、彼らからどう喝されて掘り起こしに必死になったマスメディアの問題でもある。利権ボスに対する暴対法の実施により、部落差別の終結は間近である。