「友よ」 岡林信康  スタートページへ

一面では1970年代の青年達の団結の歌でもあった。然し穏やかなデモ程度の抗議運動や団交に業を煮やした活動家は 暴力革命理論に根ざした主導権争いをして内ゲバを展開した。火炎ビン・爆発物・銃器使用にまで発展し、一般市民の支持を 失なってゆく。理論は常人では理解不能なほど抽象化し今では警視庁警察庁公安の極左暴力集団の指定を受けている。当時、陸上自衛隊にはセクトヘルメット識別のA新聞の記事が掲示されてたが、それほど意識の中になかった。治安維持訓練はあった。 当時は冷戦中でもあり、内乱の危険もあったから出動には至らなかったのだろう。恐れが無ければ出動は普通科(歩兵・小銃、機関銃、投敵弾、ロケットランチャーぐらいか?)と施設科(工兵・爆破処理)、航空隊(方面飛行隊・攻撃ヘリ、多用途ヘリ)か?頭脳と練度の戦闘になったことだろう。 単なるテロリスト相手になってしまうから。なんか小銃とられて逆用されんかと思ったりもしたが、多数の細かい部品から出来ており、故障時に分解はできても結合は無理と思ったりする。まあ出動が無くてよかった<^^>
一般に、純粋になればなるほど具体事象を捨象して抽象化しわかりずらいものになってゆく。 然し、当時の学生が暴力闘争に走った気持ちもわかる。日大では抗議運動を阻止しようと体育会系学生を右翼日大首脳部 が駒に使ったのだ。正浄化要求の阻止に暴力団まがいのことをしたのだ。さらに、保守反動警察機動隊まで動員するとあっては 、頭を使い武器を使って対抗するしかなかったかに思う。その武装理論として暴力革命闘争に走っていったこともだ。2018年、 日大王朝は共和制でない東日本においてその帝国性はまだ延命健在だ。しかしまあ、岡林さんの数々の問題提起の歌は少々しんどい。なお、極左の極限は連合赤軍であり、残りは社会で在野に下るか、変節極左という超保守管理層として存命していく<^^>